私にとっての 「さようなら」 BACK
| 「さようなら」
の別れのあいさつの言葉の音の響きは
私の耳には美しすぎて淋しすぎる たまさか 「ごきげんよう、さようなら」 なり 「またお会いしましょう、さようなら」 なり 丁寧な別れのあいさつを受けることもあるけれど なぜか知らぬ 「さようなら」 を言われるたびに その音の響きが私の胸にひっかかりその胸を打つ だからだろう むかしっからの私の別れのあいさつの言葉は 「じゃあ、また」 くらいの曖昧さですましてきているのは 昭和六十二年十月二十六日午前十時、武蔵関の日赤病院に 脳梗塞で入院中の草野さんを見舞った 「心平さん、秀夫くんよ」 という付き人の言葉に私の顔をみとめ 「おお、おお」 の草野さんの一言だけ 特に話すべきこともなく時間がすぎ 病室を辞するにあたり 「次の仕事の約束がありますので帰ります。おじさん早く良くなって下さい」 |
うなづかれて痩せた右腕を差し出して下さったものだから 私も両手でその握手を受け 「さようなら」 なりなんなりの言葉が 私の方から出ないからだったろう なかなかご自分の握った手の力をゆるめては下さらない 「また伺います、また伺わせて下さい」 の私の言葉に ようやく草野さんの握って下さっている手の力がゆるみ されど私もその手を放しがたく しばらくそのままで無言が続いた 「おじさん必ず元気になります、そしたらまた伺わせて下さい」 ゆっくり深くうなづかれた草野さんの目と表情を私は確認し そしてやっと互いの手がはなれた 最後にお会いしたのは その死の前前日だったが 葬式の日の火葬場でのお骨ひろいで 草野心平の骨がはじけた いま思う、 私は 「さようなら」 をも言えない意気地のない男だが あの時、さようならを言わなくてよかった、と |