解 説 ( I ) 横川 秀夫
ジーン シャノンの作品が最初に私の眼を射ましたのは、その独特の語彙にありました。それはおよそ従来の詩の世界とは縁の遠い物理学、化学、宇宙科学ならびに自然科学に関する専門用語が潤沢に使用されている点にありました。然しながら、これらの用語はまったく無理がなく極めて自然に闊達にまた正確に駆使されております。その作品に触れた最初から私はその言葉の駆使法に圧倒されました。
こうしたスタイルの詩を、日本の現代詩の作品群のなかに見出すことはほとんど不可能である、と気づきましたのがジーン シャノンの作品をこの国に紹介したい、就中、若い世代の人々に、また同時に、確たる表現技術を持たず呟きや繰り言のみを記しているかに見える詩人たちにもその参考に供したい、と考えましたのが、この詩集の完成した起因であります。
とは云え、極めて限定された数の作品をしか読まずに、この構想を押し進めることは危険に過ぎました。それで、二年前に渡米いたしました折、ジーン シャノンをよく理解している詩人でありハワイ大学名誉教授 フィリス ホーゲ トンプソン博士をアルバカーキーにあるそのお住まいに訪問いたしましたとき、私は率直に前記の私の見解についてお尋ねいたしましたところ、氏の見解も私のそれとまったく同じであり、さらにジーン シャノン作品のいま一つの顕著な特質はその自然観にある、というご指摘がございました。(翻訳の域を広げ全体像を掴んだ後、この点に関する私の考えもまったく同じであります)。更に昨年、二度にわたる訪米の折、両氏にお会いし、シャノン作品の一部である此処に収録された詩の原稿を手にした次第であります。
右に記しましたシャノン作品の語彙の特異性および独自な自然観といった二つの要素のほかに、翻訳中に楽しんだのですが、私個人として特に記しておきたいことは、その作品のなかに垣間見られる澄んで知性にあふれたユーモアと、各節の間にある飛躍あるいは間といった空間がたまらなく好きな部分です。また、具象と抽象そしてシュールという異なった空間が図らずも巧みに織りなされている点についても、おそらく読者はお気づきのことと思います。
昨五月十八日にお預かりした全原稿の翻訳を完了すると同時に、翻訳終了の祝いに自分自身の「独白」 と題する詩をも完成させました。ジーン シャノン、フィリス ホーゲ トンプソン両氏のご支援の下、共にこの仕事を完遂して得て、私はしあわせであります。私たち三人ともども名誉や金銭を追うものでは毛頭ありませんが、この詩集がこの国で数多くの人々に読まれ親しまれんことを心より願うものであります。(2002年5月19日・識)
解説 ( I I ) フィリス ホーゲ トンプソン
ともすると、ジーン シャノンは単に優雅で安易な自然に関する詩を記述している、と思われがちである。と言うのは、その論理的統辞法は明快であり、そのイメージは溌剌としてまた精確であり、そしてその各行がもたらす音は不可欠な音楽性たる詩の本質そのものを提示しているからである。然しながら、すべての優れた詩作品がそうであるように、これらの詩篇の半分ほどまで読み進むならば読者をして、そのことばの意味と感覚において多大に貢献しているその作品群の役割について気づかせるはずである。さらに、その作品の美そのものが詩におけるそうした関与をもたらしている。
この点において、その詩は過去にしばしば俳句と比較されてきたように、俳句に関連しているかに見える。残念ながら英語での読者はともすると、偉大な俳句の巨匠たちは極度な知覚表象の繊細性と明晰性とについての研鑚を積み、また芸術に自己を没頭させるようになるまでには長期間の生活についての熟知を経た結果であるということを忘れ、俳句における簡潔な季節に関する記述形式は、小学生教育での詩の手ほどきに格好であるという位にしか考えてはいない。ジーン シャノンの作品は、こうした俳句の巨匠たちの場合と同じように明確にモノを見る事と成熟した思想にしっかりとした基礎を置くものである。
彼女の作品が読者に要求するある種の注意深さの例として 「隙間」 のなかの幾つかの節について考えてみたい。
オークレイ ハウスの寝室の壁紙に赤いバラの花が咲い
ていた。ギフト ショップで売られている満ちていく月
と星々の形のなかに青いパウア貝の音がする。ツアー
ガイドはずいぶんと前の夏に何千という人の命を奪っ
た黄熱病について話した。
女は金銀の合金と琥珀金で出来た自分のコップの生涯に
ついて考えた。
咲いている赤いバラは現実の花である。壁紙は男の手になるものである。寝室は人間の性の営みを暗示している。オークレーはなかば自然な名前であると思われる。パウア貝は現実の貝であり、満ちていく月と星々の形もまた同じく現実であり、夜間の人間の興奮状態と増幅していく感情とを暗示している。然しながら、これらはみやげもの屋で売られている装飾用の金属の輪である。夏はこの地上の一つの季節である。人間の生死について話しているツアー ガイドは恐らく自分の仕事を面白いものだとは思ってはいない。そして第三節のなかで、合金というその金属自体は現実のものではあるが、女の性を暗示する金と銀とで成り立つ琥珀金でできたコップ、すなわちペルソナの現実の生が意図的に作り上げられている。
さらに 「果樹園木立」 のなかで、午後のどしゃぶり とは明確な事実ではあるがこの行は次のステップである言語に関する抽象的な考察に繋っていく。
世界でいちばん / 美しいことば、 / 桑の実
は、木自身の現実であり木立は呼び戻され雨とまったく同じにリアルなものとなる。
これは非常に厳選された美しい詩のコレクションとなっている。私はこれらの詩篇をその詩のあるがままの状態として、そこに述べられていることを受け容れ評価する方法を知っている文学的伝統を持つ国に紹介する横川秀夫氏の翻訳に感謝の意を表するものであります。